凡庸共和国
「時間は本来無目的、非連続である。刹那生滅、刹那生起、いはば無意味なことの無限の反復が時間というもののあらはな姿といってよい。目的へ向かって進んでいるのではないといふ点からいへば、虚無、死、寂静へ向かって進んでいるのではないかといふことになる。反って、時間は、念々が虚無につながっている。無始無終の非連続の谷間には、虚無の底なき深淵がのぞいている。反復の間は虚無である。そして、これこそまさにニヒリズムといってよい。時間は虚無を根底とする無意味なことの、果てしないくりかへしである。…ひとはこの冷厳なニヒリズムに堪へることができなくて、さまざまな意匠をつくりだす。時間が始めもなく終わりもまたない無限の反復であるといふことは、現在といふ時点から一切の意味、価値を奪ふということである。ひとは意味なくして生きるだけの勇気をもたない。かくしてさまざまな意味づけが行はれ、意味づけるために時間を装飾する。」(唐木順三『無常』)
「壁がある、と書きかけて、私は息をつめる。私は金縛りにかかったかのように、動けなくなった。そこに壁がある、と言うことを、誰が信じてくれようか。
私は、『私が』壁を見た、と言いかえようとした。これは事実である、少なくとも、私が見た、と言うことは、私にとっては、疑うべからざる事実である。しかしこう言ってもやはり、他人には、疑えば、疑えるのである。他人ばかりではない、私にとっても、これは自信のある言明ではない。私が見た、と言うことが、たとえ、確かであろうとも、それが果たして壁であろうか、壁とは何であるか、と聞きかえされると、いまの私には、すぐには答えられない。私は、答に行きつまるのである。壁に対しての、こうような行きづまりは、私が建築家である、と言う自覚の故である。私には、壁を、単なる言葉として、単なる約束として、あいまいな儘で見逃すことができないのである。」(増田友也『壁と私と空間と』)
「我々のような平凡が人間が、どう、いい建築をつくっていくか。大事なのは、平凡性を高めるということです。私の建築は、この『俗』が常にテーマです。俗語の本質、これが大事なんですね。俗語の本質とは、『面白い』ということです。パチンコ屋に行ったり、競馬場に行ったり、ストリップ小屋に行ったり、というあの俗っぽい世界。高貴の世界というのは面白くないんです。道徳の世界は面白くないんです。しかし、『俗』をテーマにして『俗』に落ちてしまったらだめです。『俗』をテーマにしながら『俗』を離れないといけません。『俗』の中にこそ面白いものがあるのですから、難しい本を読んで哲学者みたいな顔をしていたら、ろくなことがないと思います。建築家は勇気を持って俗の中に浸らなければいけないと思います。」(出江寛)
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